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桶狭間で討ち死に3

 2009年12月18日「桶狭間で討ち死に」のひとゴマ+(プラス)の続きの続きです。前回の記事はこちらです。

 今回は実際に桶狭間の戦いが行われた場所の遺構を巡ります。できることなら信長が必勝祈願した熱田神宮から桶狭間まで歩いてその足跡をたどってみたかったのですが、前日痛めた足が一晩たってさらに悪化していたので、やむなく桶狭間周辺まで電車で移動することにしました。

 名古屋から名鉄名古屋本線で12駅、中京競馬場前まで。熱田神宮の横を通り、鳴海城近くを経て合戦の地へと至るルートなので、まあよしとしましょう。

 今回巡る場所は以下のような感じです。


(クリックすると新規ウインドウに大きな画像が表示されます)
 中京競馬場前の駅を出ると、銅像がお出迎え。



 なにやら背中がぞくぞくします。武者震いでしょうか。

 ここから5分ほど歩くと、桶狭間古戦場伝説地なる場所があります。足が痛くてうまく歩けません。つま先立ちだとなんとか歩けるのですが、どう見ても怪しいひと。この先大丈夫でしょうか……。

 で、なんとか着きました。



 庭園風の公園という感じです。広さは東京ドームで言うと0.01個分ぐらいでしょうか。ここは豊明市ですが、古戦場を名乗る場所は名古屋市のほうにもあります。まあ、この広さに数千人の兵士が入れるわけもありませんから、ここから名古屋市のほうまでの一帯で斬り合っていたということなのでしょう、くわばらくわばら。もしかして、ぼくの足が痛いのも呪いかなにかなのでしょうか……。

 それはいいとして、公園内を歩いてみます。なんと書かれているのか判別できない石柱だとか、



 おお、これは合戦でついた刀傷?



 そして、今川義元の墓も。



 ただしこれは明治に建てられたもの。説明書きには今川義元はここで倒れたとの記述がありますが、名古屋市側は認めてなかったりしそう……。400年以上前の話ですから真実はわかりません。

 この古戦場伝説地の前に建つ高徳院というお寺。



 急な階段を登ると、



 今川義元公本陣跡。ほんとかどうかはわかりませんが、ここに織田軍が攻めてきて、じりじりと退却しながら先ほどの墓のあたりで討たれたとすると位置関係はいい感じ。

 この奥は起伏のある竹やぶで、見通しはあまりよくない。



 当時もこんな様子だったとしたら、奇襲は可能?

 では、今度は名古屋市側の古戦場伝説地へ行ってみましょう。

 足はますます痛みます。そんな足下にふと視線を向けると、



 おお! マンホールの蓋が馬に乗る侍! さすが合戦の地ですよ。こちらは豊明市のマンホール。となると、気になるのは名古屋市のほうはどうなっているかということですな。はやる気持ちにしばし足の痛みを忘れて歩を進めると、名古屋市突入! そして、マンホール発見!



 ……虫、ですね。

 さて、気を取り直して、古戦場公園へやってきました。



 「桶狭間古戦場」ののぼりが立っている以外は、いたってふつうの公園ですが、なかへ入ってみると、



 出ました! 今川義元公本陣跡! 先ほどの高徳院とどちらが本物なのでしょう? ここは比較的低く平坦な場所。多くの軍勢が待機する場所としてはよさそうですが、見晴らしはあまりよくなさそうです。

 もう少し、この桶狭間界隈を散策してみることにします。それにしても足が痛い。いっそタクシーで回ろうかしらなんて思いつつ、ややしばらく歩くと、



 瀬名陣所跡の立て札。今川義元の家臣瀬名氏俊が先発隊として、19日(合戦当日)の昼食のために本陣を設営したという。

 位置関係や時間から考えると、今川義元がここにたどり着く前に合戦がはじまったのではないかと推測できます。ということは、今川軍は昼飯を食わずに戦ったということか。腹がへってはなんとやら。今川軍敗戦の原因は昼飯にあったのかも。

 

 こちらは「戦評の松」。先ほどの瀬名氏俊が合戦のときに、この松の根元に武将を集めて戦評を話し合ったのだとか。ちなみにこの松はのちに植樹されたもので、当時のものではありません。

 こちらも位置関係を考えると、どこに本陣があったかは別としても、今川義元と先発隊とが連携を取れる状態になく、今川の軍勢がバラバラであったことがうかがえます。

 そろそろ帰ろうかと、痛む足を引きずりながら名鉄の有松駅へ向けて歩いていると、小高い山を見つけました。これは、登らねば。

 

 痛む足をいっそう引きずりながら、急坂を登ると、

 

 山頂に小さな社が。有松神社というそうです。ここは高根山といって、今川方の松井宗信率いる約1000人が着陣した場所とのこと。このあたりでは一番高い場所で、鳴海城や善照寺砦、中島砦が一望できたそうな。

 

 こちらが鳴海城方面。たしかによく見えます。そこに織田軍の別働隊がやってきて激戦になったとか。どうもその戦いのすきに、織田軍の本隊は丘陵の狭間を縫うように進軍したらしい。ここでの戦いがなければ、織田軍本隊は事前に察知されていた可能性も……。

 

 これが、高根山から見た桶狭間方面。この家々の下には多くの亡骸……いやいや、合戦の地とは思えぬじつに平和な風景です。

 このあと、鳴海城のほうも少し回ってみましたが、目ぼしい発見はなかったので割愛。



 というわけで、なんだかわかったような、真相はさっぱりわからないような2日間だったのだけど、

 1560年、尾張の織田信長が駿河の今川義元を桶狭間の合戦で破る

 という一文だけはしっかり頭に刻み込めました。まあ、たったこれだけのことを覚えるためにここまでしないとダメなのかと思うと、情けなくなるのだけど。

 さて、この企画に次回はあるのでしょうかねえ。
ひとゴマ+(プラス) | 2010.03.08 Monday 07:24 | comments(0)
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